blogを読み返し、自分が業務を行う際の「その動機、善なりか」を考えていました。

善の定義も難しいなと。

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企業では、生産性の無い業務は善とはならない。(ボランティアは出来ない)

反して、例えば、以前のマルシェのようなボランティアは、俯瞰で見ると大きな果実が来る場合もあるなと。


本題です。

以下が簡単にまとめた私の考えであり、今までの行動です。(動機、善なりか。の)

①地域のニーズから、どのような不動産を創出すれば街が変化するかと予測する。(事業誘致の仕掛け)

②地域のニーズを見渡した時に、誰も気付いていない事業は弊社が行う。(出来る範囲で)

この2点が、弊社のエリアでの活動に繋がってきたように考えています。

上記①の例は分かりやすく「居酒屋」。

そもそも京都駅から徒歩数分の本エリアには、居酒屋が少なく地元の方が数件こじんまりと営業している程度でした。
それから時を経て、多くのホテルが来たことから、週末は今はどこも満席状態となります。

需給バランスが取れておらず、この業の方は今後、更に出店したい方は多いのでは無いでしょうか。

また、不足しているのは「居酒屋」だけでは有りません。

すぐに思いつくだけでも、病院・クリニック・薬局・スーパー・ガレージ・美容院・パン屋・ケーキ屋・弁当屋・レンタル着物・カフェ・・様々な業態が未開の地です。

コロナで暫く挫かれましたが、これから「世界の京都」と言われるこの玄関口のエリアは、伸長すると考えています。

そして恐らく「観光二次産業」のエリアとしての街づくりが今後基本方針になるように考えています。
そのエリアで、様々な事業を誘致するための不動産業を「善」と考える。

不動産を創出することで、街の動線が変化するのなら、微力ながら地域に寄与出来たのかと考えることが出来ます。

他方、地元の方からは、「昔の方が良かった」「周辺が騒がしくて住みにくい」の声も聞くことが有ります。(オーバーツーリズムの時も出ましたね。)

自身の経験としても、テナントビルをコンサルした際に近隣住人から同様のクレームを頂き、ご近所ですが、未だに関係の改善が出来ていない所も有ります。

きっとこう言うことなのでしょう。
「こんな騒がしい建物をアイツがコンサルティングしよって。」

「善」と考える時、すべてに100点満点を取ることが困難なことが有ります。

当の私もよく理解しています。

そういう時、自分に言い聞かせる言葉は「誰かがやらないと何も変化しない。」です。

自分の「善」とは、満点で無く、他者から見れば「悪」にも見えるのだろう。


さて、時が経ち、そのテナントに入った飲食店は大盛況店になりました。・・が。

・・そうすると、「このエリアを良くしたい・一番の店を作る」と言っていたはずの同志は、次第に現場から離れました。今は姿もあまり見ないかな。

彼の善は、お金儲けだったのだろうか。自分や社員のみの幸せが善だったのだろうか。

一緒にエリアを盛り上げる同志として最大限、上手く行くように動いたのにな。
この人なら任せられると思ったのにな。

いつまでも人を応援するというのも難しい。理解するというのも難しい。

もっと言えば自分と他者の「主語ではなく述語」が違うのかな。


「その動機、善なりか」とは、時間の経過で変わらず、不変なもので有りたいな。

深い言葉だなと。


取り留めなく書いてみました。

9784479795735