人と話をしたいのだけど、誰と話して良いのか分からない
もっと自分が知りたい事や、参考になる話を聞いてみたいな。と言う欲求が有ります。

気付くと、食事を共にしてくれる人が(or自分が話をしたい人が)限定されていることに、自分は殻に籠っているのでは。と思う時が有ります。


・・・今、もしかして成長期なのか。


勢いを前面に出し、薙刀を振るうような時代から、今は、どうなんだろう。
少しだけ知的になったのだろうか。

そう言えば、勢いの時代は、他人の話が分からないとき「そんなものどうでも良い」みたいな発言をしていたように思います。

「そんなチマチマした話は不要」「勝つか負けるか」など、稚拙な発言が多かったように思います。


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きっと当時は、「あいつは元気な奴だ」とか「言う事を全然聞かないな」とか「傍若無人」のように見せることが「我が道」のスタイルであったように思います。

このコロナを契機に、自分の今ままでのスタイルでは立ち行かないと強烈に思いました。

業務の考え方や、帳簿との向き合い方、資産への考え方、これらは何も無かった日常であれば、変化することは無かったと思います。

現在の自分は、間違いなく3年前の自分では無い。

少しだけ、脳みそのシワが増えたのではないかと思います。

・・そうなると、今までの友人と話が合わない。
「類は友を呼ぶ」と言うのだから当然か。


再び、「人探し」の時期なのかな。と考えています。


勝手にこの言葉を思い出しました。

「三日会わざれば 刮目してみよ」

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・・これは確か、三国志の呂蒙への言葉だったと思います。

若かりし日の呂蒙は蛮勇を振るい「阿蒙」(バカ)と呼ばれていましたが、猛勉強に励み、呉の軍師にまでなりました。

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あー。もしかして昔、自分と話をした人が「あいつ変わったな。話の内容が。」など言われるようになれば、ようやく「大人」になれてきているのかも知れません。

・・呂蒙と比べる厚かましさはご勘弁下さい。



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