孫子曰く 百戦百勝は、善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。

孫子の兵法に興味があり、現在読書をしています。

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2500年前の兵法書ですが、現在まで読み継がれるベストセラーですね。

かのナポレオン・曹操・武田信玄など軍略に優れた人物の愛読書としても知られています。

文字を読んでいると何の事。
とお思いでしょう。

しかし現代文の要約書が多く有りますので助かります。


さて、

孫子曰く 百戦百勝は、善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。

についてです。


要約すると

100回戦って100回とも勝利をするというのは、普通に考えれば良さそうな話ですが、孫子はこれを否定し、戦わず勝つことが善の中の善である。

と言うことです。

企業に置き換えると

戦わずして勝つ。

これが最善なのは自社に損害が無いからですね。

戦えば仮に勝ったとしても、自社にも危険がある。

値引き合戦で勝っても利益が出ないことだと考えると解りやすい。


では、このことからどう考えるか。

「競合のいない市場を見つけ出すか、新たな市場を創り出すこと」

ここが大切なのですね。

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本書ではこれを、自社の事業ドメインを「物理的定義」から「機能的定義」に変え、自社が何業か、何屋かという意識の変化が必要だと書いています。


要するにこういう事です。

ほとんどの企業は自社のドメインを「物理的」に認識しています。

花を売っていれば花屋。

機械を作っていれば機械製造業。

扱っている「商材」に着目している。

これでは同業者が多くいて多くの敵と血みどろの戦いをしなければなりません。


他方です。

自社ドメインを「機能的」に認識を行うと。

花と言う物理的商材を扱っていても、この花により顧客の暮らしに潤いをあたえている「潤い提供業」だと考える。

このように機能的に考えれば、商材は花でなくても良いのです。

潤い提供業と考えれば、花でなくても絵の販売も考えたり出来ます。

その上で、花や絵画と合う家づくりをする工務店をやることも可能です。

「いろいろやっていて何業か分からない」と答えられることは=競合がいないor少ない。

物理的領域のみであれば、そこでしか戦いの場所がない。


弱者の戦い方とはこういうことでしょう。

「独自の土俵を作り、そこで一人横綱になる。」

納得です。


ゲームチェンジャーなどは、こういった発想から生まれるのではないでしょうか。


「え。私の会社ですか、うーん。何がメインかわからないです。」


良い方向性だ。

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