誹謗

現代社会は評価が匿名で行われ(大概は)Googleや食べログなど様々な分野でクチコミが基準となる時代です。

一人ひとりが匿名でのコメンテーター気取りで書き込み行い、そしてそのまま放置で消すこともしない。その時に得た感覚とは、その人の生涯、そのクチコミのままなのだろうか。
(そもそもクチコミにも期限を定めたら良い。1か月とか。)

最近、飲食店の事業主の友人S君が、「自分のお店に来たお客さんに1点をつけられた」と憤慨(或いはガッカリ)していました。
懸命に商売をしている側にすればたまったものじゃない。
(もう一度来て食べたら5点なのかも知れない)

100%の失態があるなら反省も出来るのだろう(予約していたが店が席を用意していない。など)が、内容も良く分からない事では困惑します。

弊社でも最近、賃貸物件の退去清算についてクレームとのことでクチコミ1点を付けられました。
(しかも、私がこの場所についての修繕が必要です。と撮影し相手に送信した写真を使い。)

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トラブルなんて無いことを事業主は考えます。

しかしその中でも、齟齬があったり、考え方の違いはあるでしょう。

また、思慮浅い世代のクチコミならそれもあるでしょう。

良い大人が、当人に解決策を具体的提示を行わず、一方的に攻撃する。
不特定多数に「自分の正義」を公表する。

SNSが発展するまでの時代、初めて行くお店など冒険心が溢れ良かったではないか。
それで合わなければ行かなければ良いだけなのだから。


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このままで良いようには思いません。

SNSとは、便利では有るが、時には凶器と同様だ。

大切なのは、事業主は最初から「50点」のものなど提供しようと考えていない。
「100点」を常に目指しているという理解だろう。


クチコミとは、思うに「好意の評価」として利用されるものであり、「悪意の評価」では無いと思う。
本当に良いから5点。これだけで良いじゃないか。

ココさえ直せば良いから。敢えての4点で良いではないか。


その辺りも鑑みれる社会であってほしいし、少なくとも自分はそうしよう。


2020-0809-東京新聞新聞を読んで





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こちらの本を1年ほど前に読みました。
インパクトが有りました。「正義中毒」のワード。

コロナ当初に自粛警察など自身が思う正義を盾にやりすぎだと思うことが有りましたね。
実際、いま自粛警察はどこに行ったのでしょう。

SNSの誹謗中傷もこの中毒者なのでしょう。


以下、中野先生の文面です。

「自分が社会正義を執行したい」という欲求はとても強力です。
自分が正しい側にいて、規範から逸脱した人を攻撃すると
「自分はいいことをした」という報酬が脳内で得られるんです。

その報酬が快感として味わえるので、それを覚えて(中毒になると)
攻撃する相手がいなくなると物足りない気持ちになってきます。

(中略)
人間は脳の構造から、自分の属している集団以外は受け入れられず、攻撃しやすい傾向があります。

(中略)

脳の「前頭前野」という部位は、
自分自身を客観的に認知する能力「メタ認知」が働くところで
他人を「許す」ために大事な脳の部位です。

この前頭前野を鍛えることにつながり、
正義中毒を治療することにつながります。

人間は一般に加齢によって
この前頭前野の働きが衰えてくるので、
怒りっぽくなったり、
人を許せなくなったり、
新しい考え方を受け入れにくくなってしまうので、
正義中毒になりやすくなってきます。

さて、自分を振り返りました。
そう言えば「●●すべき」「なぜそうしないのだ」そのようなワードを多く使ってきたように思います。

正義中毒だったのかも知れません。

自分の考えを押し付けるあまり離れていった人もいます。

考えを持つことはとても大切なことですが、他方、聞く耳を持つことはより大切だと最近気付きました。

強烈なワードは、光に見えることもあるでしょうが、それは失う時も同時に早い。
実体験からの感想です。

前頭葉をトレーニングしてより良き生き方をしたいと思います。
この中毒は最終、自分にブーメランのように戻って来ます。

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